すすきの十六夜
留守番
南六条の小さなバーで、六十二歳の常連が、カウンターの内側に入っていた。
「五分だけ留守番してて」 マスターが氷を買いに出たのだ。
退屈なので、流しのグラスを洗った。三つ目で指が滑った。音だけは、ずいぶん高そうだった。
戻ったマスターに、男は千円札を差し出した。 「弁償」 「それ、景品でもらったやつ」 「じゃあ返せ」 「でも三つしかなかった」
男は札を引っ込める手を止めた。 マスターは割れた破片を新聞紙に包んだ。
「店、辞めてどう?」 「楽だよ。朝、起きなくていい」 「今、朝五時に散歩してるだろ」 「女房が起きる前に出るんだ」
男は洗い残したグラスに手を伸ばした。 「もういいって」 「あと二つだ」
翌晩、男はゴム手袋を持ってきた。 マスターはカウンターの外におしぼりを置いた。
「お客さん、こちら」 「今日は割らない」 「洗わなくても来ていいんだよ」
男は手袋をポケットに押し込み、いつもの椅子に座った。 「じゃ、少し高いのをくれ」