すすきの十六夜
引き継ぎ
午前一時、すすきのの雑居ビルで、清掃員の敏子が新人に鍵の束を渡していた。六十二歳、今夜で最後だった。
「四階は何のお店ですか」 「行けばわかる。三階の人には聞かないで。仲悪いから」
新人は手帳に書こうとして、やめた。
エレベーターの前で、赤いネクタイの男が二人に会釈した。 「いつもどうも。今日はお嬢さんと?」 「後任です。娘は、こんな時間に働くなって」
男は初めて敏子の顔をまっすぐ見た。 「お名前、何でしたっけ」 「十年も会ってるのにね」 「いや、聞く機会が」 「敏子。明日から覚えなくていいけど」
男が困った顔をすると、敏子は笑ってモップを絞った。
帰り際、新人が手帳を開いた。店ごとの注意の下に、敏子、とあった。 「鍵が合わないとき、電話してもいいですか」 「朝は駄目。これからは寝坊するんだから」
そう言って、敏子はいつもの始発の時刻を確かめた。